【人の 吉凶は 動より 生ず】

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日本における変遷

 日本に於ける変遷

 聖徳太子生前の頃、小野妹子等により、唐からの献上物の中に、兵法として有り。
天皇家、武家、身分の高き人達だけが知り得た兵法であるが故に、一般大衆には、目に触れる事が出来ぬ書物でした。

 役ぬの行者久米仙人、安倍清明、弘法大師(空海)、伝教大師(最澄)、慈眼大師(天海)等が、修身斎家として、自分自身の修行として用いた。


徳川時代300年の構想

 江戸幕府 西暦1603年 慶長8年 2月12日(水)年盤 一白水星 癸卯 月盤 八白 征夷大将軍に任官した、徳川家康が創設した武家政権である。家康は、天下を取るや否や、江戸へ遷都をせり。此処から、300年の構想が始まる。この時の、アドバイザーは、慈眼大師(天海)の、用(はたら)きに、よるものとされています。

 気学 一説に於いては、家康は、江戸城より、方位的に、通称、表鬼門と、言われるところの、【艮】(うしとら)御三家の一つ、水戸藩を置き(太田城)、北方方面の守りとした。

 裏鬼門【坤】(ひつじさる)には、駿府城で、守りを固め、徳川前期に於いては、徹底した、気学での、実践が、成された様であるが、中期、後期に成ると、その気学的、実践は、段々薄れてきたとされています。

 「驕(おご)れるもの、久しからず」家康の、真意を無視した驕りが、幕末を早めたと言われています。300年には及ばず、206年間を以って、無血開城、慶喜が任官して、1868年5月3日(慶応4年/明治元年4月11日)、奇しくも、僅か4年で、最後の将軍と成ります。

 慶応4年(明治元年1868)天皇の詔書がなされた。「江戸ハ東国第一ノ大鎮、宜シク親臨ヲ以テ其政ヲ視ルベシ、因テ自今江戸ヲ称シテ東京トセン。東西同視スル所以ナリ」。と、詔書が出たのですが、明治天皇は、醍醐寺の高僧より、東の、遷都を勧められと、伝えられています。

 現在の、日本の盛隆と成る、東京が、誕生しました。元々、皇室には、聖徳時代から、気学を持っていますし、方位が悪い公務は、なるべく、避ける方法が採られていると、聞いています。

 当初は、(ひがし)(みやこ)として、フリガナは、東京(とうけい)と、付けられていました。

 故に、東京(とうきょう)と言う、地番が無いのです。明治20年過ぎた頃から、東京(とうきょう)言う、名称に落ち着いて行った様です。

 明治時代に、第一期、気学文化が開きます。五人の祖師が、誕生します。明治後期42年、園田真次郎氏を始めとする、五人の、祖師です。

 


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